足が不自由な親友が自然分娩で出産した話

HSP│繊細な私の考え事

こんばんは。はなです。

寝ようと思ったんだけど、これだけはどうしても書いておきたかったので書いてから寝ることにします。

 

今朝、こんなツイートをしました。

私の中学時代からの親友が、出産した話です。

 

少し長いかもしれないけれど、今の感情を忘れないうちに書き残しておきたい。

 

 

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親友「あき」と過ごした学生時代

あき(仮名)と出会ったのは中学生のとき。

そのとき、あきはすでに車椅子だった。

車椅子だったけれど、とても明るくて、いつもニコニコしていて、人見知りだった私もすぐに仲良くなった。

 

仲良くなってから、あきの自宅にもよく遊びに行ってた。

 

あきの家族はお父さん・お母さん、
そして4姉妹。

お姉ちゃん・あき・妹2人だった。

 

ほとんど毎日のように遊びに行ってた。

 

中学生だった当時、
私の両親は共働きで、4歳上の姉もバイトしてたので、家で一人で晩御飯を食べていた私は、よくあきの家でご飯を食べさせてもらってた。

 

「はな、ご飯食べて帰るか~?」
って聞いてくれるニコニコしたお母さん大好きだった。

あきのお母さんのご飯は最高に美味しくて、
何より大勢で食べるご飯は美味しかった。

 

週1回以上は一緒に食べてたと思う。

「はなはもう一人のうちの子供や~」なんて言ってくれていたこともよく憶えている。

 

 

 

そんなあきが、入院になった。

 

突然、体調崩したのだと思う。

入院した経緯はあまり憶えていない。

 

ただ、入院してからも、毎日会っていた。

 

学校が終わって、40分歩いて病院に通っていた。

今思うとすごい運動量…。

 

私の足がよく「走るの速そう」って言ってもらえるのはこの頃のウォーキングのおかげだと思ってる(笑)

(実際は50m10秒かかる運動音痴なんだけど。てへっ)

 

 

雨の日も雪の日も、全く苦とは思わず、ただあきに会いたくて病院に通っていた。

 

今日こんなことがあったよ、とか、

あの先生がこんなこと言ってたよ、とか。

 

あきのリハビリについていったり、
あきが残す病院食を食べたり、

帰りはあきのお母さんがよく車で送ってくれた。

 

 

あきは、原因不明の難病らしい。

 

 

病院でも、研究生たちが治療の勉強のために見にくるといってた。

「動物実験もいいとこだよ」ってニコニコしながらあきが言ってたのを憶えている。

 

 

あとは、リハビリ。

普段ニコニコしてるあきが、
リハビリはかなり辛そうだった。

 

今では軽々とベッドから車椅子に移動できるあきだけど、当時は大変だった。

 

下半身が麻痺状態なので、足はただのおもり。

腕の力だけで、そのおもり付きの上半身を移動させるのは至難の業だと思う。

 

よくリハビリの先生に「そんなんできひんわ!」って怒っていた(笑)

 

 

何度か、立つ練習にも付き合った。

 

ベッドに横たわって、足元・腰・胸元とベルトをつけられるあき。

そのベッドがだんだん20度、45度…と起き上がる。

 

人は長い間横たわっていたり、車椅子の生活をしていると、立ったときに「高所恐怖症」のような感覚になって気絶するらしい。

 

そうならないように、立ったときの感覚を練習するリハビリだった。

 

寝てる姿勢で固定されたまま、立つ姿勢の角度まで自動ベッドで起き上がるのだ。

 

90度近くになって、立つ姿勢に近づくたび、あきは気持ち悪くてダウンしていた。

吐きそうになるらしい。

 

 

あとは、リハビリの先生で〇〇先生がかっこいいだとか、

当時流行ってた「ビューティフルライフ」のドラマ(木村拓哉と常盤貴子のラブストーリー)を真似して、車椅子で二人乗りして駐車場暴走して看護婦さんに怒られたりとか、すごい楽しかった。

 

 

…ただ、悲しいこともたくさんあった。

 

いつものように歩いて病室に着くと、泣き叫ぶあきの声とそれを止める看護婦さんやお母さんの声が聞こえてきて、中に入るのをやめて帰ったり、

 

いつものように病室に入ると過呼吸で苦しんでるあきがいたり、

 

あきのお母さんから
「昨日ね、あきが病院のベランダの柵の外に座ってたんよ…」って震えた声で聞いたり。

 

そのことをあきは「それが憶えてないねん。だから自分でも怖いんや」って言ってたり。

 

大好きだった当時付き合っていたあきの彼氏から、病気が原因で別れを告げられたリ…。

 

ほんといろいろあった。

 

 

久々の再会は成人式

中学を卒業して、高校に入ってからもしばらくは遊んだりしていた。

でも、部活が忙しくなったり、私もバイトを始めたりしてなかなか会えない日が増えていって、

 

いつの間にか疎遠になっていった。

 

 

高校3年生のときに、私は奈良から大阪に引越しした。

大阪から奈良の高校に通っていた。

 

ますます会う機会もなくなり、そのまま高校も卒業した。

 

 

久しぶりに再会したのは20歳の成人式のときだった。

 

成人式のときに、地元の写真屋さんで友達と記念写真を撮りに行く約束をしていた。

たまたま、あきもその日に写真を撮ることになってると知って、久しぶりの再会を楽しみにしていた。

 

そして、撮影当日。

 

初めて着る着物と美容院でセットしてもらったヘアスタイル。

かなりウキウキしながら、写真屋さんに向かった。

 

写真屋さんの前にはあきのお姉さんがいて

「いやぁ~!!はな~!!久しぶりやなぁ~!変わってないなぁ~!!!」

 

なんて大興奮で再会した。

 

「あき、撮影してるで」

 

そう言われて奥を覗いた私は、泣いてしまった。

 

 

そこには、

立って撮影されてるあきがいた。

 

「あ~!!!あきが立ってる~!!!(泣)」

 

そう言ってメイクしてることも忘れて大号泣していた。

 

会えない間に何があったのか、病気が治ったのか、よくわからないけれど、立って、松葉づえのようなものをついて数歩歩いていた。

 

日によるけれど、歩ける日があるらしい。

 

ほとんど車椅子生活だけれど、前よりもいい調子なのだとか。

 

ほんと感動的な再会だった。

 

親友・あきの結婚式

それから14年後。

あきが結婚した。去年の話。

 

私は子供二人も一緒に、結婚式に呼んでもらった。

 

久しぶりに会うあきのお母さん、お姉ちゃん、妹たち…。

あきに会うまでに、もう泣いてしまった。

 

 

そして、結婚式が始まった。

 

ウエディングドレスを着て車椅子に乗っているあき。

その手をひく花婿さん。

 

あきのお母さんやお父さんの気持ちを考えるともうグエグエ泣いてしまった。

 

子供が23人も参加するにぎやかで楽しい結婚式だった。

 

 

そんなあきから、年賀状で「6月に家族が増えるよ」って報告があった。

 

車椅子の親友・あきの出産秘話

5月31日
「元気ー?あきは、とうとう37週まできたよ~」

あきからLINEが入った。

 

「わぁ~!!いよいよやーん!!男の子?」

と聞くと、

 

「女の子」って。

 

 

 

それから1ヶ月半後の今朝、

「はな、おはよう!
やっと生まれました。
16日の朝方3時に破水して、
翌日17日のお昼に産まれたよ~!

最後の最後、ちょっと二人して、
危なかったんやけど、なんとか乗り越え、
自然分娩できました」

 

ってLINEがきた。

 

 

仕事に行く前に見て、

「えぇ~!!うわ~!!」って一人で声出して喜んでた。

 

いや、でも待って?自然分娩?
あきの場合、どこに力入れるんや?って思った。

 

自然分娩の経験がある方ならわかると思うけれど、出産って、めっちゃ足で踏ん張るんよね。

足だけじゃなく、腕もやけど。

 

全身使って、踏ん張って踏ん張ってやっとの思いで産むんだけど、

あの麻痺してるであろう足の状態、言わば足がない状態でどうやって生むんだ?

 

「おめでとう」も言いたいしLINEよりも電話がいいかなと思って勇気ふり絞って電話してみた。

 

私、今までは電話するの苦手で、いつもラインや文章で返事してたんだけど、
Twitterでラジオやzoomするようになってから、文字で伝わるのと声で伝わるのって全然違うんだってことを学んだ。

 

「話す」って温度が伝わるよね。

 

文字で「おめでとう~」って言うのと、話して「おめでとう~」って伝えるのは全然違う。

だから、もしかしたら出産後であきがしんどいかもしれへんのやけど、声で温度を届けたかった。

 

 

電話をかけると、すぐにあきがでた。

私「今大丈夫~?おめでとう~!!」

 

あき「大丈夫やで~。ありがとう~。」

 

私「え、自然分娩ってすごない?
えっと…どこに力入れるん?」

 

あき「せやろ~(笑)言うたら足無い状態やから、腕の力と、あとは赤ちゃんの力かな」

 

 

「赤ちゃんの力…」。

その言葉を聞いたときに涙が出そうになった。

 

言葉を発しない赤ちゃん。
顔もまだ見ていない赤ちゃん。

その赤ちゃんの「産まれたい」気持ちを信じるあきのパワーがすごく伝わった。

 

あき「帝王切開も考えてたんやけど、できるなら自然分娩がいいなと思ってて、でも途中で酸欠になって酸素マスクしながらの出産やってん。

赤ちゃんって上向きになって回転しながら出てくるんやけど、途中で下向きになってしまって、私も赤ちゃんも酸欠状態になって、「あーもう帝王切開せなあかんかも」って助産師さんも言うてたときに、赤ちゃんが上手に上向きに回転してくれて無事に産まれてきてくれた…」

 

そうニコニコしながら言うあき。

きっと、本当はもっと危なかったんだと思う。

 

あきは、いつも怖いことを「大丈夫だよ」と平気で言う女性だ。

 

 

本当に生きてて良かった。

 

そう心から思った。

 

赤ちゃんもあきも、無事で良かった。

 

産まれた直後に送ってくれた赤ちゃんの写真は、あきを愛してくれてる旦那さんそっくりで、それを見てまた泣きそうになった。

 

その全てを電話で伝えた。

 

きっとLINEじゃ「おめでとう~!良かったねぇ~。ゆっくり休みなよ~」くらいしか伝えれなかったと思う。

 

電話で話して良かったと思った。

 

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あき、おめでとう。

あきとあきの旦那さんならきっと明るい家庭をつくれると思う。

車椅子でも、いつもニコニコしてるお母さんになるんだろうな~。

 

コロナが落ち着いたら、会いに行くからね~!!

 


 

 

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

コメント

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